CaseStudy:19 生まれ育った地元の技術を守りたい
竹細工職人を目指し竹と格闘する日々

竹細工の「つくりて」 勢司恵美
東京→沖縄→茨城県 2011年Uターン

「故郷って知り合いばかりなので、生きていくのが楽ちん」 

竹細工の「つくりて」として県内外で活躍する勢司恵美(せいし えみ)さん。茨城県行方市にUターンし、制作活動をスタートさせてから7年が経った。「ものづくりをして生きていきたい」という想いを実現する場所として選んだ故郷だが、「知り合いがいっぱいいる中で生きていくのは本当に楽ちん。行方の人のつながりはいいなあ、こういう場所が私には必要だったと、帰ってきてから気づいた」と笑う。
身近に竹林が多い環境で育った勢司さん。竹細工との出合いはいわば必然だったが、真っ直ぐここまで来たわけではなかった。大学を卒業後、バックパッカーとして3カ月ほど東南アジアを周った。その後東京で会社勤めをしたものの間もなく退職、自然を求めて沖縄へ。西表島の海や山を案内するネイチャーガイドをして過ごした。
「楽しかったです。でもガイドを続けていく中で自然の怖さを知って、この仕事は一生はできない」と気づいたのが転機だった。「一生やれる仕事」を考え続けた末、ものづくりをする職人になろうと決意。
後に行方市の勢司さんの作業場を訪れた友人は、周囲の自然を見て「空が広い」「オープンであけっぴろげ」という感想を持ったといい「ここで生まれ育ったから今の勢司さんが出来上がったんだね」と感慨深げだったという。勢司さんのスケールの大きな生き方は、そんな環境から育まれてきたのかもしれない。

実家のガレージを改造した「作業場」で、切り出してきた竹の「節くり」をする勢司さん。長い竹を慣れた手つきでさばきながら、鮮やかに4分割するところまであっという間だ。

「行方市で育った私だからこそ、ここのものを作る」 

何を作るか、素材について考えた時、結局「竹しかなかった」と勢司さん。自然のものであること、日本のものであること、さらにこのままでは廃れてしまう後継者がいない技術であること。そして勢司さんにとって重要だったのは、地元の素材で、地元のものを作るということ。「よそのものは、別に私が作らなくてもいい。私はここで育ったのだから、ここのものを作らなきゃ」という思い。「使命感かな」と話す。竹林は放っておけば山を荒らしてしまう存在。竹を使うことは環境を守ることにつながるということも、大きな要因だった。
職人を目指すと決めた時はすでに、20代後半だった勢司さん。県内で竹細工職人に弟子入りすることはかなわず、結局大分県の県立職業能力開発校・竹工芸訓練センターに入学し1年間、竹材の材料加工や各種編組技術などを学んだ。
基本の技術を習得し、行方市に帰ってきて、実家のガレージを「作業場」にして、手探りで竹細工を作り始めているうちに、旧玉造町に14歳から竹細工を作っているまさに職人がいることが分かった。吉田平さん85歳、今の勢司さんにとって尊敬する憧れの大先輩でありながら「友だちみたいな関係」でもある大切な存在。「いいものを作れるようになりました」と勢司さんの成長に目を細める吉田さん。「もう、あたしらの時代は終わって、この人の時代ですよ」と加える。

地元の先輩職人・吉田平さんの工房で。かつて霞ヶ浦のワカサギ漁になくてはならないものだった、ふるいカゴの「ザップ」や、様々な用途で使われる「米あげザル」を見ながら話が弾む2人。

長いヒゴを効率よく均等に割ることは基本の技術。ヒゴを2枚重ねてできるようになった時に、「職人」に一歩近づいたと感じることができた。

勢司さんが現在作っているザルやカゴ。地元で使われてきたザル、カゴをもっとたくさん作ることを目指している。

地域によって異なるカゴについて説明する勢司さん。左は茨城を含めた関東のもので網代底のザル。右は九州のものでゴザ目のザル。ふちの巻き方も違うのだという。

茨城県の海側の地域で多く見られるコイのぼりのカゴ玉。吉田さんから「どうしてもこれだけは受け継いでくれ」と伝授されたもの。36本のヒゴを編み上げて直径70cmほどのカゴに仕上げる。

長い竹ひごを足で抑えながら全身を使って組み上げる勢司さん。先輩職人から教わり少しずつやらせてもらいながら、失敗を重ね、やっとできるようになった。

愛用の刃物類。長いものは孟宗竹用。短い方が主に使うもの。下は竹用のノコギリ。

「今、フォーカスされているのは民芸品だという手応え」

一方で「作りたいものは荒物」と勢司さんは言い切る。荒物とは、切り出してきた竹を加工せずそのまま使って作った、生活の中で使われてきたザルやカゴだ。そのような日用品を「何も考えずにサクッと数を作れるようにならないと、職人になれたとは言えない」と思っている。だから今は「職人」ではなく「つくりて」と名乗っているのだという。
現在は、荒物を作るかたわら、都内や県外で年に3、4回竹細工の展示会を開催するほか、県内各地でワークショップも開いている。勢司さんが来場者や参加者の反応から感じているのは、「日本の昔からの物が、今まさにフォーカスされている」ということ。「(先輩職人の)吉田さんは自分が作っているものを時代遅れだと感じているらしいけど、私は逆だと思う」。暮らしの中で磨かれてきた竹細工に惹かれる人は多く、民芸品が時代に求められているという手応えを感じている。
基本的に、朝8時には仕事をスタートすることにしている勢司さん。とはいえ夕方5時に上がるというわけにはいかず、結局、「終わらないので」夜遅くまで作業を続ける毎日を送っている。軽トラを駆って独りで竹山に入り、重い竹と格闘し、「一生勉強で、きりがないものづくり」を仕事にするしんどさをぼやきながら、「大変だけど楽しい」と語る勢司さん。80歳を超える先輩職人が「(自分は)まだまだだよ」という世界で、胸を張って職人を名乗れる時が必ずくると信じている。

車で5分ほどのところにある、知り合いが所有する竹山。節の間隔や高さを見て、竹は慎重に選び、切り出す。

11、12月中に、1年に使う材料の半分は切り出しておく。だから冬場の午前中はほとんど竹山にいる。軽トラで細い山道をどんどん進む勢司さん。入り口付近で地下足袋に履き替え、落ち葉が積もった林の中をずんずん歩く。

切った竹を運び出す作業。孟宗竹の大きいものなどは重過ぎて持ち上げられない時もある。竹を持って斜面を登ってくる時などは、「重くて泣きたくなっちゃう」と笑う。

ワークショップ参加者に囲まれて、熱心に指導する勢司さん(真ん中)。

作品を卸している店などから声がかかり、都内や県外でも展示会を開催している。

勢司 恵美(せいし・えみ)プロフィール

1978年茨城県行方市生まれ。茨城県立鉾田第一高等学校を経て、大東文化大学外国語学部を卒業。都内で旅行代理店勤務や沖縄でのネイチャーガイドを経験。その後、ものづくりを仕事にしたいと思いたち、竹細工職人を目指し大分県の県立職業能力開発校・竹工芸訓練センターに入学。竹工芸科で1年間、学科や実習を重ね基本を習得したのちに故郷にUターン。

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